2008年11月19日水曜日

ロードス島戦記

小説のほうです。
アニメにしろ映画にしろ、感想を書くのは基本的に最後(最終話)まで見てからと決めていたのですが、長編小説やマンガなどは完結するまで10年以上かかることもよくあるので、なかなか感想を書くことができないことになります。 このへんは臨機応変にいかないといけませんね。

さて、このロードス島戦記はシリーズ通して1000万部以上売れており、ドラクエなんかのファンタジー好きの人は、押さえておかないといけない小説です。

さかんにメディアミックスもされたので、あの時代を生きたオタクたちなら、なんらかのメディアで必ず触れたのではないでしょうか。
コンプティークで連載されていたテーブルトークRPGのリプレイが元になっており、このあたりの事情を知らない方はWikipediaなどで調べてみてください。


僕は、ロードス島戦記は全7巻中6巻まではリアルタイムで読んで、7巻だけ読まずという中途半端なことをしておりました。今回ノスタルジーにひたる意味も込めて全巻通して読み、さらに外伝の2巻を続けて読みました(ハイエルフの森 ディードリット物語、黒衣の騎士)。

今、ブームは過ぎ去り、冷静な目で、この小説に触れることができました。
高度な組み立てや文章表現があるわけではないですが、基本的に、昔と変わらず楽しく読めました。特に、リプレイでは描かれなかった2巻や、2つ目のリプレイが元になっている3巻は、かなり盛り上がります。3巻では重要人物が死んでしまいますが、リプレイでキャラクターが死んでしまうことがなければ、この展開はなかったでしょう。ダイスの目が出したランダムな結果が、小説に予測不可能な要素を与えています。ロードス島戦記を特徴付ける一つが、このゲームリプレイベースとということになります。

ロードス島戦記のもう一つの特徴が、剣と魔法を描いた日本製のファンタジーとしては、最もメジャーな作品であることです。ロードス島戦記以前にも、グイン・サーガなどのファンタジー小説はありましたが、この分野はそれほど一般的でなかったと思います。
欧米では1950年代に指輪物語が発表され、その後、指輪物語のスタイルを踏襲した多くのファンタジー小説が発表されたようです。指輪物語のスタイルというのは、キャラクターが活躍する架空世界の国家、宗教、土地などの世界設定を綿密に行い、物語にリアルな雰囲気を出すスタイルです。
日本でこの分野が遅れたのは当然で、これらの小説が中世ヨーロッパの世界観がベースになっていることと、エルフやゴブリンなんかも、欧米ではおとぎ話にでてくる、一般的な空想の生き物だからです。

ロードス島戦記は乱暴な言い方をすれば、日本の指輪物語です。ファンタジーの物語に、出渕裕さんのイラストによる、ジャパニメーションの要素が融合されたことが、爆発的ヒットに繋がりました。
今のライトノベルのスタイルに近いものですが、今ほど、アニメ・マンガ的なイラストではありません。この時代はこのぐらいのバランスの絵が、小説のイラストとしてはしっくりきていたように思います。(最初のラノベと呼ばれるのは、立ち読みした解説本ではスレイヤーズということです。)

ロードス島戦記は、大人が呼んでも楽しめますが、特にアニメ・マンガ文化に慣れた10代には、ハマれる要素が満載です。ただ、今(2008年)の時代にこの小説を持ってくると、他の作品と差別化することが難しいかもしれません。それは、ロードス島戦記の面白さが、キャラクターの魅力に頼りすぎてるからです。この傾向は特に外伝で強く、とにかくキャラクターを魅力的に描くことが徹底されています。
現在、様々な作品でいろんなキャラクターが氾濫しているので、当時はものすごい魅力的だったロードス島のキャラクターも、ありがちなパターンの域を出なくなってしまったのです。

20世紀もっとも面白い小説と呼ばれる指輪物語は、もちろんそれぞれのキャラクターも立っているのですが、ボロミアがどんな人かというと、なんか激しいマッチョぐらいの印象しかなく、メリーとピピンの違いは正直よく覚えていない。これはキャラクターより、物語の筋に重点が置かれているから。指輪物語が陳腐化しないのは、キャラクターの創出より、物語の創出の方が困難で、模倣しにくいからではないでしょうか。
青春時代を共にした作品は色あせて欲しくないですが、ロードス島戦記はあまりにもメインストリームに乗りすぎて、模倣が多くされたため、オリジナルの輝きが薄まってしまったように思います。
今の若い読者がどのように受け取るかを知りたい作品です。

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